東京高等裁判所 平成2年(行ケ)4号 判決 1992年12月25日
アメリカ合衆国
ニュージャージー州、リトルフェリー、インダストリアル・アベニュー49
原告
サイエンティフィック・デザイン・カンパニー・インコーポレーテッド
代表者
トーマス・ダブリュー・トーウェル・ジュニア
訴訟代理人弁護士
大場正成
同
近藤惠嗣
訴訟複代理人弁護士
深井俊至
訴訟代理人弁理士
野口良三
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
指定代理人
近東明
同
松浦弘三
同
加藤公清
同
長澤正夫
同
田中靖紘
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
原告に対し、上告のための出訴期間として90日を附加する。
事実
第1 当事者の求めた判決
1 原告
(1) 特許庁が、昭和59年審判第4739号について、平成1年3月28日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続きの経緯
訴外ハルコン・リサーチ・アンド・デベロップメント・コーポレーション(以下「訴外ハルコン」という。)は、1979年3月26日のアメリカ合衆国出願による優先権を主張して、昭和55年3月26日、名称を「エチレンの酸化用触媒及びその調整法」とする発明(以下「本願発明」という。発明の名称は、後に「エチレン酸化用触媒の調整法」と補正された。)につき、特許出願をした(特願昭55-38768号)が、昭和58年11月14日に拒絶査定を受けたので、昭和59年3月19日、これに対する不服の審判の請求をし、同請求は、特許庁昭和59年審判第4739号事件として審理された。
原告は、審判係属中、本願発明の特許を受ける権利を訴外ハルコンから承継し、昭和63年10月31日、この旨被告に届け出た。
特許庁は、平成元年3月28日、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をし(出訴期間として90日を附加)、その謄本は、同年9月13日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
(a)酢酸銀、安息香酸銀、シュウ酸銀、乳酸銀、マロン酸銀、コハク酸銀、グルタル酸銀およびマレイン酸銀によなる群より選ばれた銀塩の水溶液でさらにアルコール、ポリオールおよびケトアルコールよりなる群より選ばれた窒素非含有還元剤を少なくとも一種類含む溶液を、110℃以下の温度で担体に含侵させ、
(b)工程(a)の前記含侵担体を、85℃以上200℃以下の温度で、含侵された溶液の実質的にすべての銀が析出するのに十分な時間だけ活性化および乾燥させ、前記担体上に分解可能な残留物を残留させ、
(c)工程(b)の前記活性化担体を溶媒で洗浄することによって前記担体から前記残留物の少なくとも85%を除去し、
(d)その後、工程(c)の触媒にセシウム、ルビジウムおよびカリウムよりなる群より選ばれる一種類以上のアルカリ金属の化合物の溶液を後含侵させ、後含侵させた触媒を乾燥させる、
工程よりなる、エチレンを分子状酸素で酸化して酸化エチレンを製造するのに有用な触媒の調整法。
3 審決の理由の要点
審決は、特開昭54-13485号公報(以下「引用例」という。)の以下の記載を引用し、引用例には、その特許請求の範囲に、「エチレンを分子状酸素で接触気相酸化して酸化エチレンを製造する際に使用される多孔性無機質担体の外表面および細孔内壁面に微細銀粒子を分散付着せしめてなる銀担持触媒の製造方法において、多孔性無機質担体に、還元性化合物を含有した銀化合物溶液を含侵し、加熱還元処理せしめて担体外表面および細孔内面に金属銀を分散担持した後、水および/または低級アルコールにより洗浄し、乾燥後さらにこれに反応促進剤含有溶液を含侵し、液成分を蒸発乾燥せしめてなることを特徴とする酸化エチレン製造用銀担持触媒の製造方法。」が記載されている外に、銀化合物として酢酸銀、乳酸銀、コハク酸銀を用いること、加熱還元処理は100~150℃で、1~10時間行うこと及び反応促進剤としてカリウム、セシウム含有物を用いることが記載されていると認定し、本願発明と引用例発明との一致点として、「エチレンを分子状酸素で酸化して酸化エチレンを製造する触媒の調整法において、酢酸銀、乳酸銀、コハク酸銀よりなる銀塩の水溶液に還元剤を含有させた溶液を担体に含浸させ、含浸担体を加熱処理し、銀の析出及び乾燥を行い、その活性化担体を洗浄し、その後セシウム、カリウムからなるアルカリ金属化合物の溶液に含浸、乾燥する点」を、相違点として、「還元剤として、本願発明ではアルコール、ポリオール及びケトアルコールよりなる窒素非含有なものを用いるに対し、引用例発明では、アミン類、アミド類を用いる点」を挙げた上、銀触媒の製造に用いる還元剤として、本願発明で用いる窒素非含有のアルコール、ポリオール及びケトアルコールと、引用例発明で用いるアミン類、アミド類等の窒素含有のものとは、同じ目的で同様に用いうることは、例えば特公昭46-32242号公報(以下「周知例公報」という。)から周知の事項であり、用いる還元剤の相違により、当業者が予測できない効果を奏するものとは認められないので、本願発明は、引用例発明と周知事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるから、特許法29条2項の規定により、特許を受けることができないと判断した。
第3 原告主張の審決取消事由
審決の理由中、引用例の記載内容の認定、本願発明と引用例発明との一致点及び相違点の認定は認める。しかし、審決は、以下のとおり、本願発明と引用例発明の技術事項の相違点を看過し、窒素含有還元剤と窒素非含有還元剤の交換可能性に関する周知事項についての判断を誤った結果、引用例発明で用いる窒素含還元剤に代えて本願発明のような窒素非含有還元剤を使用することは、当業者にとって容易であるとの誤った判断をした。
1 本願発明及び引用例発明の技術事項の相違
引用例発明及び本願発明は、エチレン酸化用触媒の調整法において、いずれも低温処理を行うことを特徴とするものであるが、以下のとおり、両発明はその技術思想を異にしている。
(1) 本願発明の特徴
本願発明は、エチレン酸化用触媒の調整において、その全工程が比較的低温で実施されることを特徴とする(甲第2号証本願明細書10欄6~7行)。そして、このような比較的低温での触媒調整法における好ましい還元剤として、窒素を含有しない還元剤を特定したことに本願発明の意義がある(同17欄1~7行)。このようにして比較的低温で窒素非含有の還元剤を用いて調整された本願発明の方法による触媒は、銀粒子の平均直径が0.5~0.7ミクロンである(同11欄7~13行)。
(2) 引用例の技術思想
審決は、引用例が一見本願発明と類似することに目を奪われて、両者が同一の技術思想に根ざすものであるかのように理解しているが、引用例の技術思想は、むしろ本願発明のそれを排斥するものである。すなわち、引用例発明は、非常に微細な、0.1ミクロンないしそれ以下の銀粒子を得ることを目的としており(甲第5号証引用例明細書6欄2~6行)、さらに窒素を含む還元剤の使用が不可欠の要素として考えられており、本願発明において望ましい還元剤の1例として挙げられているエチレングリコールは単なる溶媒として記載され、還元剤としては考えられていない(同10欄下から3行目~11欄6行目)。
(3) 本願発明と引用例発明の相違点
本願発明と引用例発明とは、低温処理という点で共通するが、その目的は、全く異なっており、その根底にある技術思想は、根本的に異なる。すなわち、本願発明が低温処理を採用しているのは、従来の高温処理では得られなかった後処理のアルカリ金属の沈着による触媒活性の促進である(本願明細書11欄14~19行)のに対し、引用例発明においては、析出した微細銀粒子の成長を防止することにある(引用例明細書7欄1~6行)。このようにして得られた銀粒子の直径は、本願発明のものとは明らかに異なる。
次に、本願発明と引用例発明とは、前者がアルコール、ポリオール又はケトアルコールを還元剤として使用するのに対し、後者がアルカノール・アミン等の窒素含有還元剤を使用する点で相違する。この結果、前記のとおり、両発明は平均直径の著しく異なる銀粒子を生成するが、引用例においては、一定の微細銀粒子を生成することを目的とするから、本願発明は、引用例の教示に反している。
また、引用例は、ある特定の銀化合物と特定の還元剤との組合せを開示しているが、それぞれの組合せにおいて、銀化合物又は還元剤の組合せを他の組合せによるものに代用することは全く考えておらず、特定の組合せを排他的なものとしている。このことは引用例の米国対応特許である米国特許第4248740号(甲第8号証)のクレームに、引用例明細書9欄14~20行の欄に記載された例示の3つの組合せがマーカッシュ形式で排他的に記載されていることから明らかである。引用例の特許請求の範囲の記載は、上記米国特許のそれに比べてはるかに抽象的であるが、引用例の特許請求の範囲の記載によって何が教示されているかは、特許請求の範囲の記載にとらわれずに実質的に判断されなければならず、審査済みの米国特許を引用例の解釈に参酌することは、有用であり、当然に許される。そして、引用例に実質的に開示されたこのような特定の組合せを見た当業者は、開示された組合せ以外の組合せは実施不能であるとの教示を受けるのである。
すなわち、引用例発明は、いずれも窒素含有還元剤によって急速に還元反応を進行させ、短時間で微粒子の金属銀を析出させることを前提としているから、本願発明のように有機酸銀を使用する限り、窒素含有の還元剤の使用が不可欠である。
これに対し、本願発明は還元剤として窒素非含有のそれを用いることによって、緩やかな還元反応を進行させ、引用例の限定する範囲に属しない大きさの銀粒子を析出するにもかかわらず、優れた触媒性能を有する銀触媒を製造することに特徴がある。
上記のとおり、引用例発明における銀塩と還元性化合物との組合せは排他的なものであり、引用例の目的からすると、窒素含有還元剤の使用は不可欠であるから、これに代えて窒素非含有のものを用いる本願発明の技術思想は、示唆されていないばかりか、むしろ排斥されている。
2 窒素含有還元剤と窒素非含有還元剤の交換可能性に関する周知事項について
審決は、周知例公報(甲第6号証)において窒素含有還元剤と窒素非含有還元剤とが共に記載されていることをもって、本願発明で用いる窒素非含有還元剤であるアルコール、ポリオール及びケトアルコールと、引用例発明におけるアミン類、アミド類等の窒素含有還元剤とは同じ目的で同様に用いうることは、周知事項であると判断した。
しかしながら、窒素含有還元剤と非含有還元剤との間には還元力に大きな差があり、一方に属する還元剤で好適な結果がもたらされたからといって、他方に属する還元剤を用いることができることは全く保証されていない。上記のとおり、本願発明と引用例発明とは還元剤として窒素を含むものを用いるか、含まないものを用いるかにおいて全く異なる技術思想に立っており、一方で用いる還元剤を他方に使用することは排斥されている。
また、周知例公報記載の発明と引用例発明とは前者が高温ガスによる短時間の乾燥工程を必須のものとするのに対し、後者は低温処理を行う点で全く異質のものである。
したがって、周知例公報の原明細書が作成された時点で、10年以上も後に公知となる異質の技術である引用例発明又は本願発明において、いかなる還元剤が使用可能であるかを予測していた筈はなく、周知例公報における技術事項が引用例記載の技術に適用できる周知のものであるとする判断は誤っている。
以上のとおり、引用例発明に周知例公報の技術を適用することはできず、還元剤として窒素非含有のものを用いる本願発明は、全く新たな技術思想に立っているものというべきところ、審決は、用いる還元剤の相違により当業者が予測することができない効果を奏するものとは認められないとして、本願発明は、引用例発明と上記周知事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものと誤って判断した。
第4 被告の主張
以下のとおり、審決における判断は、相当であり、原告の主張は理由がない。
1 原告の主張1について
本願発明及び引用例発明は、ともに、エチレンの酸化において高活性、高選択率を有する銀触媒を得ることを目的とするものであって、引用例発明も反応促進剤添加としう後処理を前提として、上記銀触媒を得るため、低温下での加熱還元処理を行うものである。一方、本願発明においても同様に反応促進剤を添加する後処理を前提として、低温下で処理を行うものであり、特定の大きさの銀粒子を析出することは、特許請求の範囲に含まれていないから、両発明の低温処理の目的に異なるところはない。
次に、引用例の明細書においては、「本発明に使用される還元性化合物を含有した銀化合物溶液としては、これまで公知の全てのものが利用できるが、有効にはアルカノールアミンを還元性化合物として含有した、各種銀化合物をアルカノールアミンまたは他のアミンに溶かした溶液、ホルマリンを還元成分として含有した硝酸銀水溶液、低級酸アミドを還元成分として含有した硝酸銀のモノエチレングリコール溶液等が利用できる。」(甲第5号証引用例明細書9欄12~20行)、「原料として用いられる銀化合物には、上記アルカノールアミンと反応して水溶性塩を形成する無機銀塩および有機銀塩のいかなるものも用いうる。」(同10欄12~14行)と記載されており、右記載によれば、還元剤として公知のすべてのものが利用でき、銀化合物としても、例示のものがすべて用いうることは明らかであり、特定の銀化合物と特定の還元性化合物との使用が排他的に記載されているものではない。
また、上記のとおり、アルカノールアミン又は低級酸アミドを用いた溶液の他に、還元剤として窒素を含まないホルマリンを使用しうることも明白に記載されている。
したがって、引用例が窒素非含有の還元性化合物を用いることができるとの思想を排斥しているとの原告の主張は、相当ではない。
2 同2について
周知例公報に記載された発明は、オレフィン特にエチレン及びプロピレンから酸化エチレンなどの酸化オレフィンを製造するための銀担持触媒の特性を向上させるものであって、引用例発明及び本願発明と同一の目的を有するものである。
そして、周知例公報には、銀担持触媒の調整において、本願発明で用いる酢酸銀などの銀塩を記載する一方、使用する還元剤として、ホルムアルデヒド、エタノールアミンなどとともに、本願発明で用いるアルコール、ポリオール及びケトアルコールよりなる群より選ばれた窒素非含有還元剤が記載されている。
そうすると、この種発明において使用しうる還元剤に、窒素含有のそれとともに窒素非含有のそれがあること、また、引用例発明において窒素含有還元剤に代えて窒素非含有還元剤を使用したときも同様の効果が期待できることは周知の事項であるというべきである。
そして、上記のとおり、窒素非含有還元剤例えばホルマリン(ホルムアルデヒド)を硝酸銀等の無機酸銀塩化合物ないし乳酸銀等のカルボン酸銀塩化合物と組み合わせて使用することが本願出願前に周知の事項であり、他方、引用例においては、硝酸銀とホルマリンとの組合せが好ましいものとして例示されているにすぎず、ホルマリンと硝酸銀以外の銀化合物水溶液との組合せを除外していないことが明らかであるから、引用例発明において、本願発明におけるような窒素非含有還元剤を用いうること、また、これによって、引用例発明において窒素含有還元剤を用いた効果が窒素非含有還元剤を用いた場合にももたらされることは、当業者にとって容易に想到しうるものというべきである。
よって、審決の判断は相当であり、原告主張の取消事由は理由がない。
第5 証拠関係
記録中の書証目録を引用する(書証の成立については、当事者間に争いがない。)。
第6 当裁判所の判断
1 上記第2の2及び第2の3の事実に基づき、本願発明と引用例における特許請求の範囲の各記載を比較すると、両発明は、酸化エチレンを分子状酸素で酸化して酸化エチレンを製造するのに有用な銀担持触媒の製造法である点で一致し、本願発明の(a)は、引用例の「多孔性無機質担体に、還元性化合物を含浸した銀化合物溶液を含浸し」に、本願発明の(b)は、引用例の「加熱還元処理せしめて担体外表面及び細孔内面に金属銀を分散担持し」に、本願発明の(c)は、引用例の「た後、水および/または低級アルコールにより洗浄し」に、本願発明の(d)は、引用例の「乾燥後さらにこれに反応促進剤含有溶液を含浸し、液成分を蒸発乾燥せしめ」に、それぞれ対応する要件であると認められる。
そして、本願発明の(a)は、そこに記載されたもののみを用いる点で、引用例にいう「銀化合物溶液」及び「還元性化合物」に限定を付するものであるから、引用例の対応要件よりも狭く要件を規定していること、本願発明の(b)ないし(d)が上記引用例の各対応要件と同一であることは明らかである。
そうすると、本願発明は、引用例発明に包含されるものであり、本願発明は、引用例の特許請求の範囲を何らかの理由により限定して解釈すべき事由が存するか、本願発明が引用例の選択発明に該当するかの場合を除き、引用例と同一の発明に該当するものとして、特許を受けることができないことになる筈であるが、この点はしばらくおき、以下、本件原告の主張に沿って判断を加える。
2(1) 原告は、その主張1において、本願発明の低温処理の目的が後処理のアルカリ金属の沈着による触媒活性の促進であるのに対し、引用例発明のそれは、析出した銀粒子の成長を防止し、もって微小な銀粒子を析出することにある点で、両発明は異なる技術思想に立ち、生成した銀粒子の大きさも全く異なると主張する。
なるほど、甲第2ないし第4号証によれば、本願明細書には、「本発明の触媒は特に、従来法に比較して比較的に低温で調整されることを特徴とする。」(甲第2号証10欄6~7行、甲第4号証補正の内容10項)、「銀は前述の低温法によって担体に沈着し、担体表面に平均直径0.5~0.7ミクロンを有し、後処理によってセシウム、ルビジウムおよびカリウムよりなる群より選ばれるアルカリ金属の沈着によって触媒活性を促進し得ることを特徴とする銀粒子を生成する。前述の低温沈着法によって調整される触媒は一般に高温で実施され、後処理のアルカリ金属の沈着によって一般に触媒活性を促進することができない銀の粒子を生成する従来技術の代表的な方法とはことなり、後処理のアルカリ金属の沈着によって活性を促進することができる。」(甲第2号証11欄7~19行)との記載があり、他方、甲第5号証によれば、引用例発明については、「酸化エチレンを製造する際に使用される触媒には、高活性、高選択性であることと共に長寿命であることが要求される。これらの性能を改善する目的で、数多くの銀担持触媒が提案され、たとえば特公昭40-4605号、特公昭41-1095号、特公昭49-22314号、特公昭49-7798号または特開昭47-11467号、特開昭49-30286号、特開昭50-74589号などの各公報明細書記載の発明が知られている。これらは、適当な無機質担体に被覆または含侵法により銀あるいは銀化合物、また反応促進剤としてのアルカリ金属、アルカリ土類金属、その多の金属化合物を担体上に付着させ、これを還元または熱分解せしめることにより酸化エチレン製造用銀担持触媒とする方法を開示するものであるが、これら公知の触媒はエチレンの転化率および酸化エチレンへの選択率について工業的に要求される水準に達してはいるもののまだ不十分な点や改良すべき点が多い。」(甲第5号証2欄6行~3欄4行)、「これらの方法として上記文献中に提案される250℃以上、場合によっては300℃を超える還元処理、熱分解処理は決して安定した高活性銀を与えるものではなく、またその調整工程上、爆発燃焼など危険性にも十分対処しておくなど欠点が指摘される。」(同3欄10~16行)、「本発明による方法はまず第1に、極めて微細な活性銀粒子が担体内外表面に分散性良く堅牢に付着した触媒がえられる。」(同4欄18~20行)、「本発明者等は特別な論を主張するつもりはないけれども、一般的に高活性、高選択性、長寿命の触媒をえるためには、担体表面に付着される銀粒子径は従来公知の工業的触媒よりもはるかに小さくあるべきであるという結論をえた。このことは、従来の方法による触媒の銀粒子径は小さくとも平均2000A程度のものであるのに対し、本発明の方法による触媒のそれは、1000A程度ないしそれ以下であり、高活性、高選択性を導いていることからも明らかである。したがって、このような微細銀粒子を析出させることが重要となるが、そのためには従来の方法の如き触媒調整工程中、200℃を超えるような高温での加熱処理を避けねばならないということが必須となることを本発明者等は見出した。」(同5欄17行~6欄11行)、「上記以外にもこれまでに公知の低温加熱還元方法はいずれも適用できるが、重要なことは、大部分の公知方法が採用している金属銀を析出させた後、使用した有機無機媒体を飛散させるために加熱するという方法を行ってはならないことである。何故なら低温加熱還元により析出した微細銀粒子が大きく成長するからである。したがって、還元後の処理法としては、加熱除去にかえて上記した特公昭46-19606号明細書に記載されているように水洗浄することが最も好ましいのである。水の代わりに低級アルコールで洗浄することも勿論可能である。しかも、この水洗浄による溶媒除去法は、単に微細銀粒子をえるということだけでなく、活性銀賦活法もかね、以下に記載する本発明の根幹である反応促進剤の添加方法に対しても重要な意味をもつものである。」(同6欄20行~7欄15行)、「本発明の方法による触媒が従来にない高活性、高選択性を示す最大の要因は、反応促進剤の添加方法に関し鋭意改良された結果である。」(同7欄16~18行)との記載がある。
上記の各記載によれば、引用例発明は、担体表面に付着される銀粒子径を従来公知のものよりもはるかに小さくすることが、銀触媒の高活性、高選択率を実現するとの発想に基づき、析出した銀粒子の成長につながる200℃を超えるような加熱処理を避けるべきであるとの技術思想に基づいているものと認められ、発明の詳細な説明の上記記載によれば、本願発明によって生成したとされる銀粒子とはその径が異なることが認められる。
しかしながら、引用例発明も、すでに公知であったアルカリ金属の反応促進剤を含浸、乾燥させる後処理を前提として、工業的使用に耐える高水準、高活性の触媒を調整するための手段として、低温処理により銀触媒の径を小さくするものであることは、上記記載から明らかであり、銀触媒の反応促進過程についても、上記のとおり、低温処理が重要な意味を持つと記載されていることからすると、引用例発明の低温処理と本願発明の低温処理は、その目的において異なるところはないものといわなければならない。
また、生成される銀粒子径については、引用例の特許請求の範囲の記載には微細銀粒子の語句はあるものの、その粒径が限定されてはいないから、引用例発明において、特定の粒径の微細銀粒子を析出させることは、発明の構成要件とはなっていない。同様に、本願発明によって生成する銀粒子の寸法については、明細書の発明の詳細な説明中に上記のとおり「銀は前述の方法によって担体に沈着し、担体表面に平均直径0.5~0.7ミクロンを有し」とあるだけで、特許請求の範囲に記載されている構成により、当然に上記の範囲内の銀粒子を生成するものとは解されないほか、本願発明が同粒径を有する銀粒子を生成させることを必須のものとすることについては、何らの記載がない。
そうすると、両発明は明細書中で記述された平均直径を有する銀粒子を生成することを発明の要件としておらず、上記のとおり、低温処理の目的が両発明で異なるところはなく、また、銀粒子径の上記の相違につき、格別の効果の差異の主張がない本件においては、この点の相違に格別の意味があるものとは認められない。
(2) 原告は、引用例発明では特定の銀塩と還元剤との組み合わせは排他的であり、その組み合わせによれば急速な還元反応を目的とするため窒素含有の還元剤が不可欠であるから、当業者は、引用例発明につき、審決のいう周知事項で使用されるような窒素非含有の還元剤を用いることができるとの教示を受けることはなく、むしろ、これを用いることができない旨の教示を受けると主張する。
前示認定によれば、本願発明が還元剤の種類を窒素非含有の3種の群から選ばれた少なくとも1種類のものと限定しているのに対し、引用例においては、「還元性化合物」とあるだけで、その限定がない。
また、甲第5号証によれば、引用例には、「まず、本発明にかかる触媒は以下の如くにして製造される。本発明に使用される還元性化合物を含有した銀化合物溶液としては、これまで公知の全てのものが利用できるが、有効にはアルカノールアミンを還元性化合物として含有した、各種銀化合物をアルカノールアミンまたは他のアミンに溶かした溶液、ホルマリンを還元成分として含有した硝酸銀水溶液、低級酸アミドを還元成分として含有した硝酸銀のモノエチレングリコール溶液等が利用できる。」(甲第5号証9欄10~20行)との記載がある。
この記載から明らかなように、引用例発明において、還元性化合物を含有した銀化合物溶液すなわち還元剤及び銀化合物として、これまで公知のものがすべて利用できるとされている以上、引用例の還元剤としては、窒素を含むもののほか、これを含まないものも利用できることは明らかであり、また、銀化合物として、窒素を含まない還元剤又は窒素を含む還元剤のいずれかと反応して溶液を形成するものであれば、そのすべてを含むものとしなければならない。
しかも、「有効には」として、好適な組合せの実例として、窒素を含むアルカノールアミン、低酸級アミドを還元剤とした場合とともに、窒素を含まないホルマリンを還元成分として含有した硝酸銀水溶液が掲げられている事実からすれば、引用例の銀化合物と還元剤との組合せが特定のものであって、本願発明の特許請求の範囲外である硝酸銀を銀化合物として利用する場合を除き、引用例では還元剤として窒素を含有するものの利用が不可欠であることが開示されているとする原告の主張は理由がない。
もっとも、引用例には、上記の記載に引き続き、「還元性化合物として用いられるアルカノールアミンまたは他のアミンとしては、モノー・ジー・トリエタノールアミン類、モノー・ジー・トリ-n-プロパノールアミン類、モノー・ジー・トリーイソプロパノールアミン類、n-ブタノールアミン類、イソブタノールアミン類などが挙げられる。低級酸アミドとしては、ホルムアミド、アセトアミド、プロピオン酸アミド、グリコール酸アミド、ジメチルホルムアミドなどが挙げられる。」(同10欄1~9行)、「原料として用いられる銀化合物には、上記アルカノールアミンと反応して水溶性塩を形成する無機銀塩および有機銀塩のいかなるものも用いうるが、一例を挙げると、硝酸銀、炭酸銀、硫酸銀、酢酸銀、乳酸銀、コハク酸銀、グリコール酸銀などが用いうる。また、用いられる溶媒としては、水が好適であるが、アルコール性水酸基を1分子中に1~3個有する炭素数2~6の低級脂肪族化合物、たとえば、モノー・ジー・トリーエチレングリコール類、トリメチレングリコール、モノプロピレングリコール、メチルセロソルプ、エチルセロソルプ、メチルカルピトール、エチルカルピトール、グリセリンなども、とくに還元性化合物として低級酸アミド類を用いる場合に好適に使用される。」(同10欄12行~11欄6行)との記載があり、還元剤として、専らアルカノールアミン類の紹介がなされ、銀塩としてもアルカノールアミンと反応して水溶液性の化合物を形成する銀塩の例示をするなど、引用例が窒素を含有する還元剤の使用を主として念頭に置いていると見ることができる。
しかしながら、引用例が銀担持触媒について多くの公知技術を踏襲しつつ、これを改良するものであることは、引用例の上記記載から認められるとおりであり、これら引用例の挙げる公知の技術において還元剤として窒素を含むものと含まないものが使用されていることからすると、引用例の上記記載は引用例発明に好適なものを示したにすぎないことが明らかである。したがって、引用例の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を原告主張のように限定的に解釈し、引用例は、窒素含有の還元剤を用いることのみを教示し、これを見た当業者に窒素非含有のものを用いることを断念させるものということはできない。
原告は、引用例の対応米国特許(甲第8号証)の特許請求の範囲には、マーカッシュ形式で特定の銀化合物、還元剤及び溶液の組合せが排他的に記載されており、これによれば、引用例がどのような発明であるかが判明するから、引用例においても、具体的に示された組合せ以外の組合せを排除していると解すべきである旨主張する。
しかしながら、各国においていかなる特許請求の範囲につき、特許を受けるかは出願人の自由に決しうる事柄であり、引用例と対応米国特許とは、特許請求の範囲の記載自体が異なるから、引用例の特許請求の範囲の解釈において、対応する米国特許を考慮し、これと同一に限定解釈しなければならない理由はないものというべきであり、他に引用例発明の特許請求の範囲を原告主張の米国特許と同一の範囲に限定して解釈すべき合理的理由はない。
そうすると、引用例発明と本願発明とが全く異なった技術思想に立脚していることを前提とし、引用例の記載が窒素非含有の還元剤の使用を排斥しているとする原告の主張は理由がない。
3 原告の主張2について検討する。
甲第6号証によれば、周知例公報は、「多孔性担体物質粒子を1種またはそれ以上、銀化合物の溶液で含侵し、含侵後この1種またはそれ以上の銀化合物をそのための適当な方法で銀および/または酸化銀に転換する工程を含む銀触媒の製造方法において、銀含有溶液で含侵させたのち、担体物質を、長くとも900秒の時間内に、少なくとも液体成分の80容量%が蒸発されるような急激乾燥にかけることを特徴とする方法。」を特許請求の範囲とする昭和46年9月20日公告に係る特許公報であり、その発明の詳細な説明中には、「目下において、他の方法よりすぐれていると見なされて、最も重要視されている方法は、多孔性担体物質粒子を1種またはそれ以上の銀化合物の溶液で含侵させそして含侵後において該銀化合物をなんらか適当な方法で銀および/または酸化銀に変換するものである。含侵方法自体は、たとえばカナダ国特許第592091号、米国特許第2773844号および第2920052号ならびに英国特許第1020759号の各明細書に記載されている。本発明は、同時に、銀触媒を製造するための含侵方法にも係るものである。」(甲第6号証2欄3~14行)、「本発明によれば、担体物質は銀を含有する溶液で含侵されたのち、長くとも900秒の時間内に、その溶剤の少なくとも80容量%が蒸発されるような急激な乾燥にかけられる。」(同欄15~18行)、「誠に驚異的なことであるが、それぞれ同一の担体物質と同一の銀含量を有する2つの銀触媒を比較した場合に、本発明の方法によって製造された触媒が、他の公知方法によって製造された触媒よりも常にすぐれていることが確認された。」(同欄27~31行)、「本発明の銀触媒製造方法は、急激乾燥以外の点では、既に公知のすべての含侵法に相応する方法で行うことができる。」(同3欄29~31行)、「銀触媒の特性が促進剤の添加によって向上されることは公知であり、勿論所望ならばこの原則は本発明の触媒製造方法においても適用できる。」(同4欄29~31行)との各記載があることが認められる。
以上の記載によれば、周知例公報は、本願発明及び引用例発明と同じく、特にエチレン及びプロピレンを、対応する酸化オレフィンに酸化する際に使用される従来公知の銀触媒の製造方法を前提として、銀含有溶液で還元した担体物質を高温かつ短時間のうちに急激乾燥することを特徴とする発明であって、これに用いる還元作用物質及び銀化合物の種類並びに活性促進剤の添加については、いずれも公知の技術を踏襲し、この点につきことさら新たな技術事項を提供するものでないことが認められる。
そうして、周知例公報には、銀化合物の還元剤として、「適当な還元作用物質を例示すれば次のものである:ヒドラジン、ヒドロキシルアミン、特にエタノールアミン、メタノール、イソプロピルアルコール、アセトン、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒドおよびギ酸のごとき有機物質である。しかしながら、特に好ましいものは、銀化合物と同時的に、水性含侵液に溶解されて空隙孔の中に導入されうる有機化合物、たとえばプロピレングリコール、プチレングリコール、ポリビニルアルコール、ポリエチレングリコール、ポリプロピレングリコール、グリセリン、グルコースおよびスクローズのごとき多価アルコールである。」(甲第6号証3欄43行~4欄10行)、また、還元される銀化合物に関し、「溶解された形態で担体物質の空隙孔の中に導入されそしてその後で容易に還元されうる銀化合物は、たとえば、硝酸銀、炭酸銀、アンモニア性銀錯体およびカルボン酸、たとえばギ酸、酢酸、プロピオン酸、リンゴ酸、乳酸、酒石酸およびアレイン酸のごときカルボン酸の銀塩である。」(同4欄14~19行)との記載があることが認められる。
そして、周知例公報の発明が公知の技術に用いられていた銀化合物及び還元剤と異なる種類のものを提供するものでないこと上記のとおりであるならば、上記の銀化合物及び還元作用物質(還元剤)は、含浸法による銀触媒の製造において、従来から一般的に用いられていたもののうち、周知例公報の発明において適当と考えられるものを例示したものと認めるのが相当である。
また、例示された還元剤のうち、ヒドラジン、ヒドロキシルアミン、エタノールアミンが窒素を含有するものであり、その他のものがこれを含有しないものであることは、当裁判所に顕著であるから、周知例公報は、酸化エチレン製造用銀担持触媒の含浸法による製造において、還元剤として、アルコール、ポリオール等の窒素非含有のものをアミン類等の窒素含有のものと同一の目的で同様に使用でき、また、銀化合物として、上記のものが使用しうるという技術事項を示すものということができる。
原告は、周知例公報の示す高温急激乾燥と引用例における低温処理とは、技術的に全く異質のものであるから、周知例公報の発明において還元剤が交換可能であっても、これを引用例発明に適用できるものではなく、その交換可能性が周知であるならば、引用例発明において溶媒として窒素非含有の還元剤であるエチレングリコールを使用する際、溶媒がエチレングリコールのときは別途還元剤を用いる必要がないとの示唆があってしかるべきであると主張する。
しかしながら、周知例公報の上記記載によれば、従来の銀担持触媒の製造方法は、「多孔性担体物質を銀化合物の溶液で含浸させ、含浸後に何らかの方法で該銀化合物を銀及び/または酸化銀に変換していた」というものであり、その過程に周知例公報の開示する高温急激乾燥方法が採用されていなかったことからすれば、従来例には周知例公報の開示する高温乾燥又は急速乾燥を行わないものが含まれていたことは明らかである。そして、そのような方法においても還元剤としてアミン等の窒素含有のものと同様に、アルコール等の窒素非含有のそれを用いうることが従来から広く行われていたことは、周知例公報の前記記載から明らかというべきであり、反面、周知例公報には還元剤の窒素含有の有無によって、含浸後の乾燥温度の高低を異にすべきものとする何らの記載も示唆もない。そうすると、乾燥を含む処理温度の高低によって、使用できる還元剤が異なることを前提とする原告の主張は採用の限りではない。
4 上記1ないし3によれば、本願発明で用いる窒素を含有しない還元剤が引用例発明の特許請求の範囲に記載された「還元性化合物」から除外されているということはできず、その「多孔性無機質担体に、還元性化合物を含浸した銀化合物溶液を含浸し」の要件は、本願発明の特許請求の範囲の(a)を包含するものと認められ、また、用いる還元剤の相違により、当業者が予測することのできない効果を奏することについては、これを認めるに足りる証拠がないから、本願発明が引用例発明のうち、還元剤として窒素非含有のもののみを用い、また、一定の銀塩を選択することに、特別の意義があるとも認めることができない。
そうすると、結局、本願発明は引用例発明と同一のものといわなければならず、審決が本願発明と引用例発明とは用いる還元剤の点で相違すると認定したことは誤りといわなければならない。しかし、原告は、この誤りをあえて指摘せず、審決認定の本願発明と引用例発明との一致点、相違点を前提として審決取消事由を主張しており、この主張に沿って検討しても、上記2、3に述べたところから明らかなとおり、本願発明で還元剤としてアルコール、ポリオール及びケトアルコールを用いるようにすることは、当業者が適宜なしえたことと認められ、本願発明は、引用例に記載された事項及び前示周知事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認めるほかはない。
以上のとおり、いずれにしても、本願発明は特許を受けることができないものであり、審決はその結論において相当であるといわなければならず、審決の上記瑕疵は、審決を取り消すべき瑕疵に当たらない。
5 よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を、上告期間の附加につき、同法158条2項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 三代川俊一郎)